死を知る。
2004年12月11日マヤのおばさんが倒れたらしい。
それも、危険な状態ということ。
彼は、授業後すぐに出て行った。
月曜、火曜、も学校来れないかもしれない、と。
葬式とかなったら嫌だなぁ、と言う。
生死、という言葉はキツイ。
重くて、怖くて、どうしようもない。
私には耐えられない言葉。
すぐにでも逃げ出してしまいたくなる。
私が近く感じた死。
家族では、父方の祖母くらい。
大好きなおばあちゃんだった。
私は、おばあちゃんっ子だったから。
悲しかった。辛かった。
だけど、まだ小さかったから。
母方の祖父も、亡くなった。
だけど、小さな頃にしか関わりがなかった。
だから思い出も何もおぼろげで。
悲しいとかは、あまり感じなかった。
それでも、嫌だと思った。
一番辛かったのは、先生。
出会ってから、一年しか関わりはなかった。
だけど、あったかい先生だった。
まるで、お父さんのような、おじいちゃんのような、人。
厳しくも優しい、生徒を家族のように接してくれた。
入院して、だけど退院して。
また会えるって。また授業持ってくれるって。
そう思ってたのに。
また一緒に飲み会やろうって。そう言ったのは先生なのに。
泣いても泣いても、涙が止まらなかった。
どうか、マヤのおばさんが持ち直してくれますように。
彼が苦しむ姿は見たくありません。
出来るなら早く、元気になってください。
どうせ私は我侭だから。自己中だから。
ただ、彼と離れていたくないだけ。
少しでも、傍にいたいだけ。
だけど、死なんて、誰だって、嫌なものだから。
どちらになるにせよ、
その時は、あなたを抱き締めたい。
それがダメでも、
あなたに触れていたい。
少しでも、気持ちをわかりあいたいから。
それも、危険な状態ということ。
彼は、授業後すぐに出て行った。
月曜、火曜、も学校来れないかもしれない、と。
葬式とかなったら嫌だなぁ、と言う。
生死、という言葉はキツイ。
重くて、怖くて、どうしようもない。
私には耐えられない言葉。
すぐにでも逃げ出してしまいたくなる。
私が近く感じた死。
家族では、父方の祖母くらい。
大好きなおばあちゃんだった。
私は、おばあちゃんっ子だったから。
悲しかった。辛かった。
だけど、まだ小さかったから。
母方の祖父も、亡くなった。
だけど、小さな頃にしか関わりがなかった。
だから思い出も何もおぼろげで。
悲しいとかは、あまり感じなかった。
それでも、嫌だと思った。
一番辛かったのは、先生。
出会ってから、一年しか関わりはなかった。
だけど、あったかい先生だった。
まるで、お父さんのような、おじいちゃんのような、人。
厳しくも優しい、生徒を家族のように接してくれた。
入院して、だけど退院して。
また会えるって。また授業持ってくれるって。
そう思ってたのに。
また一緒に飲み会やろうって。そう言ったのは先生なのに。
泣いても泣いても、涙が止まらなかった。
どうか、マヤのおばさんが持ち直してくれますように。
彼が苦しむ姿は見たくありません。
出来るなら早く、元気になってください。
どうせ私は我侭だから。自己中だから。
ただ、彼と離れていたくないだけ。
少しでも、傍にいたいだけ。
だけど、死なんて、誰だって、嫌なものだから。
どちらになるにせよ、
その時は、あなたを抱き締めたい。
それがダメでも、
あなたに触れていたい。
少しでも、気持ちをわかりあいたいから。
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